2006年01月31日

曾祖母の死去

 1月29日、私の曾祖母が死去した。享年108歳。
 
 大病を患うことのなかった曾祖母は、病院ではなく、南北朝時代の忠臣、楠木正成の生誕地よりわずか100メートルの自宅で亡くなった。死因は老衰。大往生である。内閣や大阪府からその長寿を称えられて表彰され、村のだんじりは曾祖母の自宅の前を通る際、必ず一時停止し、一礼して通過した。曾祖母は私の親戚一同の誇りであった。

 曾祖母が生まれたのは明治31年である。当時、日清戦争を勝利で終えたわが国は、満洲や朝鮮半島においてロシアとの対立を深めつつあった。日英同盟が締結されたのは曾祖母が4歳の時、日露開戦は6歳の時でった。その頃、伊藤博文、山形有朋、板垣退助、黒田清隆といった明治維新の功労者たちもいまだ健在であり、それどころか、最期の将軍徳川慶喜、勝海舟、榎本武揚といった徳川幕府の中心人物たち、永倉新八、斎藤一といった新撰組隊士まで存命であった。そのような時代に生まれて、平成18年まで行きつづけたのだから、私の曾祖母はまさに日本近代史の生き証人である。私が、この国の歴史に興味を持つ頃には、曾祖母は認知症(痴呆症)が進行しており、そのような話を聞く機会がなかったのは今思えば非常に残念で悔やまれる。
 
 100歳を迎える頃まで、曾祖母はまだまだ元気であった。100歳目前まで、内職をしてお金を稼いでいたし、そのお金で私にお年玉をくれた。トイレにも自分の足で行っていた。私もその頃まで家を訪ねればよくかわいがってもらったのを覚えている。105歳頃を境に急に衰え、寝たきりになってしまい、私の名前も完全に思い出せなくなってしまった。しかし、死の直前まで孫である私の父の名前はしっかりと覚えていた。
 100歳を超え、105歳を超えると不思議なもので曾祖母がいつまでも生き続けるような気がした。寝たきりになっても亡くなることが想像できなかった。ギネスブックすら塗り替える気がした。死の1週間前に体調を崩し、今度こそ危ないと言われたが見事に持ち直した。結局、1週間後に亡くなったわけだが、医者も持ち直したと診断しており、死の報に驚いたらしい。

 旧正月の1月29日に、108という縁起の良い数字で亡くなったというのは偶然だとは思えない。通夜、葬式当日、会場は両日ともに霧に包まれた。まるで、何ものかが曾祖母を霧に包んで天に連れて行くようであった・・・
 
 当たり前のことだが曾祖母が存在しなければ私の存在もない。曾祖母に感謝し、冥福を祈りたい。
そして、長い人生本当にご苦労さん。おばあちゃん、天国でゆっくりしてや。 
posted by kiyo83 at 20:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
少し羨ましくもあったり・・
曾祖母御のご冥福を祈ります。
Posted by 公民館館長 at 2006年02月08日 18:12
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