2006年01月29日

がんばれ労働組合

 企業は株主のものか?それとも労働者のものか?戦後の高度経済成長からバブル期に至るまで20世紀の日本において「企業とは労働者のもの」と考えられてきた。しかし、21世紀になり、日本が長い不況のトンネルから脱しようという頃、「企業とは株主のもの」であるというホリエモン的(米国資本主義的)考え方が徐々に広がってきた。

 日本の労働組合はこれまでホリエモン的考えを声高に非難することをしてこなかった。昨年の日本放送の株を巡るフジテレビとライブドアの争いは、日本人の企業観が問われた出来事であったが労働組合(特に連合)は何ら社会的影響力のあるメッセージを発することがなかった。
 労働組合が労働者とその家族を守る存在であるなら、労働者の生活基盤を自由に売り買いし、不安定化させる輩は闘争の相手のはずである。労働組合は、そういう輩に対し積極的に「企業は労働者のもの」とのメッセージを発し、対決の姿勢を打ち出さねばならないはずだ。

 労働者のことを考えずに企業を自由に売り買いし、私腹を肥やす人間はマルクスが「資本家」と定義した存在そのものである。共産党や社会党に近い労働組合にほど、積極的にそういう存在を否定していかねばならないはずだ。にも関わらず労働組合は相変わらず愚かな政治家と馴れ合い、積極的なメッセージは護憲、非戦、平和の類のものばかり。今はそんなことを主張している場合ではないだろう。

 堀江逮捕は日本国のあるべき企業観、労働観を取り戻す契機である。日本国は、古来より天皇自らが田植えを行われることに象徴されるように、労働の国、労働者の国なのだ。労働組合が先頭に立ち、「企業は労働者のもの」というメッセージを発し、日本国に相応しい企業観、労働観を再確立しなければならない。
 労働組合は、闘うべき戦場をしっかりと認識すべし。今、戦わねばならない戦場は憲法問題ではない。
posted by kiyo83 at 01:58| Comment(3) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
流石!いいこと言った!
そう、中世に宣教師が日本にやってきて
「どうしてこの国では労働が尊いものとして根付いているのだろう」
という疑問を抱いた、と本で読んだのを思い出した。
キリスト教圏において信仰と労働を結びつけるむつかしさがあったからこその感想なのだろう。
働くコトの喜び、という生涯にわたって接していく感覚を無くさないようにしなければ。
Posted by 公民館館長 at 2006年02月07日 17:45
株を買うことが投資じゃなくてギャンブル
になってますからねぇ。

獲物が取れない日がある狩猟民族は
株で損することがあることもDNAが理解してるが、農耕民族は違う。
ライブドア株を買って狼狽していた
連中を見てると、
日本人はやはり農耕民族なのだなと。
堅実さを特性とする農耕民族は、
投資して地道に配当を得るのが
賢い株の楽しみ方だと思った。
Posted by kiyo83 at 2006年02月09日 23:57
うむ、投資じゃなしに投機になってはナ。
そればかりだというのは異常さね。
Posted by 公民館館長 at 2006年02月12日 15:18
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