2005年10月29日

皇婿を無視した議論は非人道的である

 久々に感情的にならず皇室典範改正の問題について考えてみたい。
 2025年から2030年頃、皇室はどうなっているであろうか。「皇室典範に関する有識者会議」の企みが予定通りに進行すれば、その頃愛子内親王殿下は日本史上2例目、およそ1300年ぶりとなる女性皇太子になっている可能性がある。あまり、というか全然知られていが日本史上かつて存在した8人10代の女性天皇の中で、皇太子→天皇というプロセスで即位した女帝は奈良時代の孝謙天皇のみである。
 その頃には、愛子内親王殿下の婿探しも本格化しているだろう。しかし、この婿探しは間違いなく困難を極める。というか高い確率で誰も婿入りしないだろう。
 史上初となる女帝の婿。どれだけ宮内庁がボケていようとさすがにそれなりの見識と良識のある男性を婿として迎えようとするだろう。しかし、そういった男性ほど畏れ多くて結婚しようとはしない。伝統の重みを理解する旧華族のような良家だったりすると尚更だろう。そもそも我が国には男性が己の仕事を捨て家庭に入るという習慣がない。もちろん、婿入りして皇族になれば多忙な公務があるんだが、皇室への婿入りを「転職」と考えることができるような男性がいるかといえば、まあいないだろう。いるとすれば、何らかの野望なり目的がある人間で、道鏡の再来である。道鏡を寵愛したのが今のところ史上唯一の女性皇太子経験者である孝謙天皇なんだから何とも運命的だ・・・女性が皇太子になり、その婿を探すというのは、「見つからない」という可能性も含めて大変リスキーである。
 皇室への婿入りを転職と考えれるような人間を探せば、結局旧11宮家の子孫に辿りつくことになろう。何と言っても本来であれば皇族であるべき方々であるから、皇族という立場に戻ることに大きな抵抗を感じなくてすむ。じゃあ、旧十一宮家の人間を婿に迎えればいいかというと事はそんなに単純ではない。いくら皇室典範を改正しようと2000年近い皇室の伝統(血統原理)に基づけば、正統なのは愛子内親王殿下ではなく、旧十一宮家の男系男子なのである。旧十一宮家の男子を婿に迎えてしまった場合、私たち国民が愛子内親王殿下を「皇太子」、「天皇」という風に敬愛して見ることができなくなる恐れがある。いくら愛子さまが天皇だ、皇太子だと頭で理解していようと何か納得いかない気持ちを胸に抱きはしないだろうか?私たちは、横に立つ旧十一宮家の男系男子以上に愛子天皇陛下に敬意を抱けるであろうか?旧十一宮家男子の方に威厳を感じてしまわないだろうか?いくら制度として天皇になれようと、国民の側が天皇として見れないのであれば愛子内親王殿下は何とも不幸である。なんとも居たたまれない話ではないか。

 現在の議論のやり方で女性天皇を容認しても、愛子内親王殿下は婿が見つからないor天皇として国民から敬愛されないのどちらかの道を辿る可能性が高い確率で存在する。女性天皇の議論と皇婿の議論は不可分一体である。現在の女性天皇に関する議論は、国の運命だけでなく、愛子内親王殿下という女性の人生を左右する人権に関する問題でもあるのだ。皇婿についての問題をおそらく理解しつつも議論しない有識者会議は非人道的集団である。有識者会議は、自らを皇婿について議論する立場にないとしているが、なんと無責任な話か。「皇婿についても議論しないと、皇室典範の改正については議論できません」と小泉に言えばすむだけの話であるのに。小泉が認めないというのであれば、有識者会議の構成員を辞任ればよいのだ。

 私は、皇室の伝統を重んずるべしという感情とともに愛子内親王殿下に幸せな一生を送っていただきたいという感情を抱いているので、女帝容認には慎重なのだ。女系はダメだが、女帝はいいだろうという考えの方が結構いるが、愛子内親王殿下のあゆまれる人生にもうちょっと思いを馳せたほうがよい。愛子内親王殿下が皇室の伝統の犠牲者となるのは、男系男子を維持して天皇になれなかった時ではない。かつて存在したという安易な理由で女帝を容認した結果、一生独身を貫くことになったり、天皇として即位しても国民から敬愛の情を抱かれなかったその時である。われわれ国民は愛子内親王殿下を皇室の伝統の犠牲者とすべきではない。
posted by kiyo83 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 皇室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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