2006年01月10日

元寇を戦いしもののふたち

 1274年の文永の役、1281年の弘安の役を合わせて元寇と言う。誰でも知ってる日本人の常識。しかし、世界最大にして最強のモンゴル帝国軍を打ち破り、日本を救った鎌倉武士たちの評価は日本人の中でそれほど高くない。それどころか「世界最大にして最強のモンゴル帝国軍を打ち破った」という表現にすら納得の行かない人が少なくないと思う。その理由はただ一つ。日本が勝ったのは「神風」という天災のおかげであり、鎌倉武士たちが強かったわけではないという話が常識となってしまっているからだ。

 ロシアの人に次のようなことを言ったらどのような反応が返ってくるであろうか。「ソ連軍がナチスドイツに勝ったのは冬将軍のおかげであり、ソ連軍が強かったわけではない。」おそらくロシア人は怒るであろう。もちろん、冬将軍はドイツ軍の戦意を削ぎ、東部戦線におけるドイツの敗北を決定的にはしたが、それはソ連軍が勇敢に戦い、ドイツの電撃戦を阻止し、戦闘が長期化したからだ。ソ連軍の士気が低く、軍備も不十分であったなら秋までにモスクワは占領され、ソ連は敗北していたであろう。
 元寇も同じことである。「神風」で蒙古軍が大打撃を受けたのは、鎌倉武士が勇敢に戦い、沿岸部で蒙古軍の進撃を食い止めたがために、蒙古軍が船内での休養を余儀なくされたからである。
 鎌倉武士たちが弱く、あっさり敗走していれば蒙古軍は九州内陸部にテントを張ることが可能であった。しかし、鎌倉武士たちはそれを許さなかった。「神風」は蒙古軍撤退の決定的な要因であったかもしれないが、それは蒙古軍の上陸を許さない鎌倉武士の勇敢な戦いがあってこそなのである。

 元寇を戦った鎌倉武士の評価は当時から低い。京都の貴族たちは、「日本が元寇に勝利したのは、自分たちが勝利についての和歌を詠み、神仏に勝利と敵国降伏を祈願したことにより、神風が吹いたからだ」と考えた。結果、鎌倉幕府の執権北条時宗には朝廷から何の褒美も与えられなかった。(600年の時を経て、ようやく明治天皇より従一位が追贈されている)「戦後の日本が戦争に巻き込まれなかったのは平和憲法のおかげだ。自衛隊や米軍のおかげではない」と考える愚かな政党が存在するがよく似た考えはいつの時代にも存在するものである。

 博多湾の底で見つかった蒙古軍の船から農業用の鋤や鍬が見つかっていることからモンゴル帝国には日本への殖民の意図があったと考えられている。元寇は間違いなく日本国と大和民族にとっての危機であった。靖国に祀られる英霊に先んじることおよそ650年。蒙古軍から国を守るために戦った鎌倉武士たちにも適切な名誉が与えられることを期待したい。
posted by kiyo83 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | もののふ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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