2006年05月11日

国連人権理事会

 新設される国連人権理事会の理事国選挙があったようで。

http://www.sankei.co.jp/news/060510/kok056.htm

 中国、ロシア、キューバが当選するっていうのはおかしいでしょ〜。人権侵害してる側ですがな。
 立候補に関しての基準が甘すぎるんだよな。こんなことしてる限り、「国連の限界」は唱え続けられるだろうし、国連不信も解消されることはないだろう。
 日本も無事理事国に当選したため、北朝鮮による拉致問題は国連においては今後、この人権理事会が主要な戦場となると思われる。ゆえにしっかりとした理事国の選出が行われてもらいたかった・・・
 アメリカが理事会への不信感から出馬を見送ったため、日本が期待するような展開は人権理事会では簡単には望めないだろう。拉致問題の解決は結局毅然とした態度による自助努力しかないのだ。
posted by kiyo83 at 07:45| Comment(34) | TrackBack(0) | 国際政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月29日

久々に更新

 久々の更新です。引越しやら、就職やらで忙しく(言い訳)全然更新できなかったです。皇室典範改正も一段落したので手抜きになってました。スイマセン。

 で、久々の更新です。ちょっと前の読売新聞に載ってたんですが、最近小学校で給食費を払わない親が増えてるそうですね。これは、格差社会がどうこうというのとあまり関係なく、就学援助を受けていない比較的裕福な家庭でも払わないらしい。なぜ払わないのかといえば、払わなくても何もマイナスがない、払わなくて済むなら払わないってな感じなんだそうな。
 なんか本当にヒドイ話だなと。近頃、小学生向けの携帯電話が売れ行き好調らしいが、そんな金あるなら給食費ぐらい払えよと俺は思ってしまうのだが。ちなみに払わない家庭の給食費は校長、教頭やPTAが立て替えたりしてるらしい。教員が金融会社の人間にみたいに一件一件取り立てに行くところもあるそうな。教員が教育に専念できない環境を家庭の側が作ってどうするよ・・・
 修学旅行の積立金も未払いが増える傾向にあるらしい。金を払わずに子どもに修学旅行に行かせようとする神経がわからん。日本人の美しき道徳観なり倫理観っていうのはどこに行ってしまったのか。
posted by kiyo83 at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 国内政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月13日

男系維持派ではなく男系男子維持派

 女系を容認するという国民の数は、今年になって皇室典範改正問題をメディアが取り上げ、一部政治家が慎重論を唱えることによって減りつつあるが、「女帝は容認していいのでは?」という人間は一向に減らない。大変不満だ。
 昔からの読者は知ってると思いますが、 憂國のSea Sparrowは「男系男子維持派」です。単なる男系維持派(女帝容認派)ではない。女系容認の動きを止めるべく、小異を捨て、男系男子維持派も女帝容認派も「男系派」としてまとまるべきだという方もいますが、私には野合する気はない。それは、与党の立場を維持するために社会党とでも公明党とでも手を結ぶ自民党や寄せ集め集団の民主党とやってることが同じだから。特に、国体の問題での野合は国家観を歪める。今の自民党を見ればそれはよくわかるだろう。

世襲の一点で大統領とは異なり、祭祀の一点で世俗の君主とは異なる
 

 三島由紀夫が天皇を語った言葉である。女性天皇では皇室祭祀を完璧にこなせない。月経中の女性皇族は宮中三殿に上がることを許されない。今上陛下が皇位を継承する際の「剣璽等承継の儀」に女性皇族の出席は許されなかった。一年の中で天皇が行うもっとも重要な祭祀である新嘗祭は、女性霊である「穀霊」を男性である天皇が祭司することにその本質がある。女性天皇が新嘗祭を執り行うことは宗教的にも論理的にも矛盾している。
 言論人で言えば八木秀次、西部邁、小林よしのり、政治家で言えば平沼赳夫といった人物まで女帝を容認してしまうことが大変不可思議だ。靖国のA級戦犯分祀については神道の伝統にこだわるくせに、肝心の皇室問題であっさり折れてしまうのは何故だ?

 女帝容認は天皇を「世俗の君主」へと近づける。女帝容認は、祭祀王としての天皇の性格を変えてしまう国体変革なのだ。女帝を容認することは保守にとって自殺行為でしかない。
 女系容認は論外。女帝容認も軍事的に言えば核兵器を使用するレベルの最終手段。
 野合を嫌う憂國のSea Sparrowは、「男系男子維持派」の看板を掲げて皇室について語っていきます。
posted by kiyo83 at 12:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 皇室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月10日

政界再編なくして皇室典範改正なし

 更新が滞っている間に、秋篠宮妃殿下のご懐妊が発表された。まことにめでたい。しかも皇室典範改悪が迫る中という、この絶妙のタイミング。天佑という他ない。耐震偽装、ライブドア、官製談合と暗い話題が続く中、我が国に光が差した気がした。

 佳子内親王殿下のご誕生より11年前の年月を経てのご懐妊は「皇室の危機を救いたい」という秋篠宮夫妻のご意志のあらわであろう。また、皇室のご懐妊発表の多くが妊娠3ヶ月の段階である中、この度は発表は妊娠6ヶ月での発表。これも改悪へと向かう皇室典範改正の議論に「待った」をかけたい秋篠宮家のご意志であると思いたい。

 ただ、多くの方が指摘されているように妃殿下のご懐妊は、諸刃の剣であろう。今国会での皇室典範改正の動きはとりあえずストップさせたが、もし秋にお生まれになるのが内親王(女子)だった場合、女性・女系帝を認める皇室典範改正の動きはかなり困難になると思われる。もちろん、親王(男子)がお生まれになれば、男系維持派にとっては歓喜の声が挙がるだろうが。

 秋篠宮妃殿下がお生みになるのが親王、内親王のいずれになろうと皇室典範の改正が必要なのは言うまでもない。安定的な男系継承を維持するために旧皇族の皇籍復帰を認める改正は不可避だ。皇室の養子も限定的に認めたほうがよいだろう。もし仮に秋篠宮家第3子が親王だった場合、皇位継承順位は現行の典範だと第3位になる。その場合、皇位を継承するには皇太子殿下、父の秋篠宮文仁親王殿下の2人を経なければならならないわけだが、これは「まわりくどい」と多くの国民が思うだろう。皇族が皇族内という限定された範囲内で養子を取れるように典範を改正し、秋篠宮第3子は、皇太子殿下の養子となり、皇位継承順位第2位としたほうがわかりやすい。

 何にしろ「男系維持のための」皇室典範改正が憲法と同じく、現行の政界の枠組みでは改正が困難だということがはっきりした。真正保守政党の立党なくして、皇室典範改正は困難である。皇位の男系継承安定化のためにも政界再編は必須だ。
posted by kiyo83 at 17:58| Comment(0) | TrackBack(15) | 皇室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月06日

血統

kousohu.jpg 左の写真の人物は誰でしょう?一見、明治から幕末期にかけて活躍したどこぞの志士のようだが、教科書にのるような有名な人物ではなく、私の高祖父(曾祖父の父)である。先日亡くなった私の曾祖母の夫の父にあたる。曾祖母の葬儀で父の実家にあった写真をさらに携帯で写してきた。
 この写真が撮られたのは明治10年。明治10年と言えば西南戦争だが、この写真は西郷隆盛が挙兵した直後に撮影されたらしい。高祖父も官軍の一人として薩摩軍征討のため九州に出征することになり、その直前に記念に撮ったそうな。先祖が靖国神社に祀られているという話は聞いたことがないので、無事生き残って帰ってきたのだと思う。

 写真の高祖父以外、4代前の祖先については私は何も知らない。3代前の曾祖父、曾祖母についても先日亡くなった曾祖母以外の方々については名前すら知らない。2代前の祖父、祖母の代になってなんとか全員名前を把握でき、どうゆう人生を歩んできたか何となくわかるという状況である。人によっては祖父、祖母の名前も知らない人も多いだろう。
 直系だけでなく傍系も含めて100代を超える家系図がほぼ正確に判明している一族が日本には存在する。言うまでもなく皇族である。
 自分が祖先についてほとんど何も知らないという事実を自覚すると、1000年以上に渡って続いてきた皇族の尊さがまた一段と理解できるような気がする。
posted by kiyo83 at 20:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月05日

期待通りで予想通り

 2月2日の朝日の社説に産経が反論することを多くの人間が期待し、予想したと思う。そして、その通りに2月3日の社説で産経が朝日批判(笑)
 そして、産経に批判されたからというより、本気で苦情が殺到したのが理由と思われるが2月4日なって再び朝日が社説で皇室典範改正問題に触れた。いや〜盛り上がってきたなぁ。国会議員の中にも慎重論が続々と出てきたが、こうなってくると余計に小泉のバカは意地になって改正案を通そうとする気がする。
 ちなみに今年になってあまり皇室典範改正問題についてここで触れてないが、それはもう書くことがないからです。自慢じゃないが有識者会議が設置されるより前からこの問題には書き、警鐘を鳴らしてきた。もう書くネタがないですわ。最近になって憂國のSea Sparrowを見るようになって、皇室典範改正問題に興味のある方は過去のエントリを読んで下さい。まだすべての記事をこちらに移行できていないので、昔のはライブドアの方の過去ログじゃないと読めないですが・・・

 話は変わりますが、ヒンギスがシャラポワに勝った。テニスには全く興味がないが、一度現役を退いた選手が王者に勝つっていうシチュエーションにはリアルなドラマを感じます。こういう筋書きのないドラマがあるからスポーツ観るのが好きです。
posted by kiyo83 at 01:45| Comment(1) | TrackBack(1) | 皇室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月02日

超えてはならぬ一線を朝日は越えた

 何事にも超えてはならぬ一線というものがある。靖国問題、歴史教科諸問題、歴史認識、中国&朝鮮との外交といった様々な問題において朝日は反日的な論陣をはってきたが、朝日新聞は本日の社説でとうとう超えてはならぬ一線を越えた。平成18年2月2日の朝日新聞の社説は歴史に残ると思う。
寛仁さま 発言はもう控えては
 皇位継承のあり方をめぐり、天皇陛下のいとこにあたる寛仁(ともひと)さまの発言が相次いでいる。
 昨年、会長を務める福祉団体の機関誌に随筆を寄稿したのに続き、月刊誌「文芸春秋」などでインタビューに応じた。さらに産経新聞と、同社が発行する雑誌「正論」にインタビューが載った。
 初代の神武天皇から連綿と男系が続いているからこそ皇統は貴重なのだ。戦後に皇籍を離れた元皇族を復帰させるなどして男系維持を図るべきだ。いずれもそうした趣旨の発言である。
 小泉首相から皇位継承のあり方を諮問された有識者会議は、女性天皇やその子の女系天皇を認める報告書をまとめた。政府はこの報告書に沿って皇室典範の改正案を準備中だ。
 寛仁さまの発言は、この報告書や首相の方針に異を唱えるものである。
 だれを天皇とすべきか。皇位継承は天皇制の根幹にかかわる問題だ。国民の間で大いに論議しなければならない。
 皇族にも様々な思いはあるだろう。自らにかかわることだけに当然だ。だが、それを外に向かって発言するとなると、どうか。改めて考える必要がある。
 当事者である天皇や皇族がどう考えているのかを知りたいと思う人もいるだろう。自由に話をさせてあげたらいい、という人もいるにちがいない。
 皇太子妃の雅子さまが体調を崩したときに、私たちは社説で、心のうちを率直に語ったらどうかと主張した。  しかし、今回の一連の寛仁さまの発言は、皇族として守るべき一線を超えているように思う。
 寛仁さまはインタビューで「皇族は政治にタッチしないという大原則があります」と述べている。その大原則に反するのではないかと考えるからだ。
 憲法上、天皇は国政にかかわれない。皇位継承資格を持つ皇族も同じだ。
 寛仁さまは皇位継承については「政治を超えた問題だ」と述べている。歴史や伝統の問題ということだろう。
 しかし、天皇制をどのようなかたちで続けるかは国の基本にかかわることで、政治とは切り離せない。まして、いまは政府が皇室典範の改正案を出そうとしている時期である。
 たとえ寛仁さまにその意図がなくても発言が政治的に利用される恐れがある。それだけ皇族の影響力は大きいのだ。
 天皇は日本国民統合の象徴だ。国民の意見が分かれている問題では、一方にくみする発言は控えた方がいい。これは皇族も同じである。
 天皇陛下は記者会見でたびたび女性天皇や皇位継承について質問されたが、回答を控えてきた。皇太子さまも会見で質問されたが、やはり答えなかった。
 おふたりとも、憲法上の立場を考えてのことにちがいない。
 寛仁さまひとりが発言を続ければ、それが皇室の総意と誤解されかねない。そろそろ発言を控えてはいかがだろうか。
 守るべき一線を越えとるのはどっちやねん!!皇族に対して「発言を控えろ」とは驚くばかりだ。私は未だかつてこれほど不敬な社説を読んだことがない。
 不敬なだけでなく、論理が破綻しているからこの社説はイタイ。社説では、雅子妃殿下は心のうちを率直に語ってよいが、寛仁親王殿下はダメだという。その理由が寛仁親王殿下の発言は政治的に利用される恐れがあり、影響力も大きいからだという。バカを言うな。それでは、雅子妃殿下の発言は政治的に利用されない影響力のないものだというのか。雅子妃殿下に対しても不敬な話だ。雅子妃殿下の体調や置かれた状況と密接に関連している、皇室外交の是非や皇室のあり方についても国民の議論は二分されている。皇位継承問題と状況は変わらないではないか。朝日新聞はダブルスタンダードを控えるべきだ。
 そもそも皇室典範改正問題は政治問題ではない。「政治」を超越した「国家」の問題である。皇族の方々にも意見を聞く機会を設けるのが当然であり、これまで発言を封殺してきた小泉政府にこそ問題があるのだ。
 今日は朝日新聞社に数多くの抗議の電話が鳴り響いていることだろう。保守系の論壇誌や週刊誌でも叩かれまくるだろうな。戦前なら命はないだろうから、それですむんなら朝日にとっては安いもんか。
 改正反対派は、平沼赳夫を中心にまとまりだした。民主党の慎重派も議連を立ち上げた。皇室典範改正問題はいよいよ重大局面に入った。
posted by kiyo83 at 15:56| Comment(14) | TrackBack(12) | 皇室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月31日

曾祖母の死去

 1月29日、私の曾祖母が死去した。享年108歳。
 
 大病を患うことのなかった曾祖母は、病院ではなく、南北朝時代の忠臣、楠木正成の生誕地よりわずか100メートルの自宅で亡くなった。死因は老衰。大往生である。内閣や大阪府からその長寿を称えられて表彰され、村のだんじりは曾祖母の自宅の前を通る際、必ず一時停止し、一礼して通過した。曾祖母は私の親戚一同の誇りであった。

 曾祖母が生まれたのは明治31年である。当時、日清戦争を勝利で終えたわが国は、満洲や朝鮮半島においてロシアとの対立を深めつつあった。日英同盟が締結されたのは曾祖母が4歳の時、日露開戦は6歳の時でった。その頃、伊藤博文、山形有朋、板垣退助、黒田清隆といった明治維新の功労者たちもいまだ健在であり、それどころか、最期の将軍徳川慶喜、勝海舟、榎本武揚といった徳川幕府の中心人物たち、永倉新八、斎藤一といった新撰組隊士まで存命であった。そのような時代に生まれて、平成18年まで行きつづけたのだから、私の曾祖母はまさに日本近代史の生き証人である。私が、この国の歴史に興味を持つ頃には、曾祖母は認知症(痴呆症)が進行しており、そのような話を聞く機会がなかったのは今思えば非常に残念で悔やまれる。
 
 100歳を迎える頃まで、曾祖母はまだまだ元気であった。100歳目前まで、内職をしてお金を稼いでいたし、そのお金で私にお年玉をくれた。トイレにも自分の足で行っていた。私もその頃まで家を訪ねればよくかわいがってもらったのを覚えている。105歳頃を境に急に衰え、寝たきりになってしまい、私の名前も完全に思い出せなくなってしまった。しかし、死の直前まで孫である私の父の名前はしっかりと覚えていた。
 100歳を超え、105歳を超えると不思議なもので曾祖母がいつまでも生き続けるような気がした。寝たきりになっても亡くなることが想像できなかった。ギネスブックすら塗り替える気がした。死の1週間前に体調を崩し、今度こそ危ないと言われたが見事に持ち直した。結局、1週間後に亡くなったわけだが、医者も持ち直したと診断しており、死の報に驚いたらしい。

 旧正月の1月29日に、108という縁起の良い数字で亡くなったというのは偶然だとは思えない。通夜、葬式当日、会場は両日ともに霧に包まれた。まるで、何ものかが曾祖母を霧に包んで天に連れて行くようであった・・・
 
 当たり前のことだが曾祖母が存在しなければ私の存在もない。曾祖母に感謝し、冥福を祈りたい。
そして、長い人生本当にご苦労さん。おばあちゃん、天国でゆっくりしてや。 
posted by kiyo83 at 20:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月29日

がんばれ労働組合

 企業は株主のものか?それとも労働者のものか?戦後の高度経済成長からバブル期に至るまで20世紀の日本において「企業とは労働者のもの」と考えられてきた。しかし、21世紀になり、日本が長い不況のトンネルから脱しようという頃、「企業とは株主のもの」であるというホリエモン的(米国資本主義的)考え方が徐々に広がってきた。

 日本の労働組合はこれまでホリエモン的考えを声高に非難することをしてこなかった。昨年の日本放送の株を巡るフジテレビとライブドアの争いは、日本人の企業観が問われた出来事であったが労働組合(特に連合)は何ら社会的影響力のあるメッセージを発することがなかった。
 労働組合が労働者とその家族を守る存在であるなら、労働者の生活基盤を自由に売り買いし、不安定化させる輩は闘争の相手のはずである。労働組合は、そういう輩に対し積極的に「企業は労働者のもの」とのメッセージを発し、対決の姿勢を打ち出さねばならないはずだ。

 労働者のことを考えずに企業を自由に売り買いし、私腹を肥やす人間はマルクスが「資本家」と定義した存在そのものである。共産党や社会党に近い労働組合にほど、積極的にそういう存在を否定していかねばならないはずだ。にも関わらず労働組合は相変わらず愚かな政治家と馴れ合い、積極的なメッセージは護憲、非戦、平和の類のものばかり。今はそんなことを主張している場合ではないだろう。

 堀江逮捕は日本国のあるべき企業観、労働観を取り戻す契機である。日本国は、古来より天皇自らが田植えを行われることに象徴されるように、労働の国、労働者の国なのだ。労働組合が先頭に立ち、「企業は労働者のもの」というメッセージを発し、日本国に相応しい企業観、労働観を再確立しなければならない。
 労働組合は、闘うべき戦場をしっかりと認識すべし。今、戦わねばならない戦場は憲法問題ではない。
posted by kiyo83 at 01:58| Comment(3) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月28日

ハマス圧勝 日本人に批判する資格はあるか?

 25日に行われたパレスチナ評議会選挙、選挙初参加のイスラム原理主義組織ハマスの圧勝に終わったそうだ。アラブの一部を除く世界各地でこの結果に失望の声が挙がっている。シャロン・アッバスが築いた対話路線は暗礁に乗り上げる可能性が高く、和平プロセス再開は当面絶望的だろう。日本にとっても国際社会にとっても望ましくない結果に終わったことは間違いない。
 しかし、多くの日本人にはパレスチナの選挙結果を非難したり、笑ったりする資格はないだろう。国体破壊政党の小泉自民党を与党に選んでいるんだから。俺に言わせれば、昨年の衆院選の結果もパレスチナ評議会選と同じ、いや、それ以上にヒドイ結果である。
 
 立候補し、当選したハマスの人間はイスラム原理主義組織の人間かもしれんが、真剣にパレスチナのことを考えている愛国者ばかりである。パレスチナとアラブの歴史も知り尽くしていよう。
 ホリエモン、杉村タイゾーを始めとする小泉チルドレンの大多数、有権者を簡単に裏切る野田聖子といったバカどもと比べてみればいい。ハマスより政治に真剣か?愛国者か?ハマスの人々がアラブとパレスチナを知り尽くしているように日本のことを知り尽くしているか?答えはどれも「NO」だろう。武装闘争を継続するなどその政策は褒められたものではないかもしれないがハマスに所属する人間は日本の多くの政治家より、強い信念を持ち、そして強く国を愛している。 そういった人間が当選する選挙が、日本の選挙と比較して民主主義的に劣っていると言えるだろうか?絶対に言えはしない。
 ハマス圧勝という結果は、やはり望ましいものではない。しかし、それを生んだ選挙自体は日本の選挙と比較し、立候補者と有権者のレベルが高いものであったと思う。
 
 中東は完全に門外漢なのだが、民主主義の難しさと面白さを教えてくれるニュースであったので取り上げてみた。
posted by kiyo83 at 15:28| Comment(1) | TrackBack(0) | 国際政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。